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ルーチルドレ 日本釣具を発展させたアメリカ人

 

Lew Childre

(Lew's公式サイトより)

 

1970年代、ルーチルドレは日本の釣具メーカーとのコラボで、ヒット商品を次々と生み出した。当時アメリカでは一般的に、日本製品に対して「安かろう悪かろうの粗悪品」というイメージがあり、経済成長とともに実力を付けてきたことがまだあまり知られていなかった。そのような中での快挙だった。

 

ルーチルドレの企画によってアメリカでヒットしたものは、

・スピードスプール(シマノ製)

・スピードスティック(ダイコー製)

・フジグリップ(富士工業製)

・セラミックリング軽量フレームガイド(富士工業製)

 

いち早く優秀な技術力に気付いて日本メーカーと手を組んだのがルーチルドレという人物である。彼はアメリカで通用すると思われる日本の優良なメーカーを発掘していった。彼の卓越したアイデアと実行力が、商品企画および開発を指導してヒット商品を生み出していった。

当時の日本にバスフィッシングを知る人はまだ少なく、アメリカに莫大な市場が広がっていることも知られていなかった。釣具メーカーのダイコーと富士工業はまだしも、シマノはまだ自転車部品しか作っていない時代だった。

 

 

商品コンセプトの「より軽く、より強く、より快適に」がSPEEDというワードにこめられたと言われている。

 

 

 

さてここで、時代を遡って彼の経歴を追ってみよう

 

アラバマ州のメキシコ湾岸に育ったルーチルドレは「魚を釣るために生まれた」ような男だった。そして自然に仕事も釣りに関係するものになった。

 

最初は小さな釣具店だった。餌のエビを販売するところから始まり、客のために竿の材料となる竹を扱うようになり、次第に品質の良いタックルを提供したいという思いが強くなった。彼は研究を重ねて、改良を加え、他のショップの4倍の値段でも売れる高品質の竿を開発することに成功する。しかしアメリカで取れる竹はばらつきが大きく改良には限界があった。そして彼は日本に目を向けた。

 

日本には江戸時代から続く和竿の技術があった。竹の育成まで含めた高い品質管理のノウハウを持っていた。ルーチルドレは(おそらくダイコーだったのではないか?)竹竿メーカーと契約を結び、製造を委託した。ルーチルドレの竹竿は成功を収め、会社は大きく成長した。彼らの成功は、釣具ビジネスに関心のある、そしてアメリカ市場に関心のある他の企業の注目を集めることとなった。そのサークルの中にシマノや富士工業が含まれていた。

 

最先端の技術を使って、高価格帯の商品を開発するというビジネスは、ルーチルドレというアメリカ人がいなければ起こり得なかったはずだ。単なる模倣ではない日本独自のアイデアが反映された製品、自動車やトランジスタ製品などとともに、釣具においてもメイドインジャパンの大きな波がアメリカに押し寄せた。

 

 

 

 

本稿を書くきっかけになったサイト

www.lews.com